人生は変わった。
『わら一本の革命』(福岡正信著)を読み終えた本日より、わが人生はネクストステージへと突入した。
何かにつけやたらと影響を受けやすい、全身性感帯な性分を差っ引いたとしても、もはや人生は変わってしまった。
福岡正信って? 『わら一本の革命』って?
福岡正信氏は「自然農法」の第一人者と広く知られ、アジアのノーベル賞と言われる「マグサイサイ賞」を受賞。あの宮崎駿も「日本で一番偉い人物」と絶賛しているとか。
この『わら一本の革命』については、自然農、有機農法、パーマカルチャー….等々の分野では極めて有名らしく。わたしも「URBAN PERMACULTURE GUIDE / ソーヤー海 監修」のレコメンBooksコーナーから興味を抱いて購入したわけで。
こいつはてっきり「農業」に関する指南書かと思って読み進めていたんだけど。そんな狭っ苦しいものじゃなかった。むしろ哲学書の類に近い。しかも最高の。
森羅万象とは?
万物創世とは?
人はどこから来てどこへ行くのか??
人は自然とどう対峙し、どう生きていくべきか??
…これらの疑問群に会心の一解を与える、チャクラの開きっぷりが止まらない最良の一冊。とても30年以上も前に出版された本とは思えない。先見の明に富みまくり。この本に出会って本当に良かった。
“人知・人為は一切が無用である”
著者である福岡正信氏が25歳の頃、急性肺炎で死にかけたらしい。
この時のエピソードがすごい。どうせ説明しても伝わるまいマインドの元、かなり端折られて書かれてるのだけど、若き福岡氏が「死」を覚悟したその時、突如バコーーーンと悟りを開いたという。
それは、
「この世に絶対的に存在するのは自然のみ。人は何かをしてるようで、自然の前では何の役にも立っていないし、全く何もしてないに等しい。」
という、自然って超完璧じゃん! & そもそも人なんて不要じゃん! …という結論に行き着いたのだと。
この衝撃的なひらめきで、瞬時に己のこれまでの思想がひっくり返ってしまったらしく。そして次の日には辞表を提出して会社を辞めてしまったらしい。すげぇ。。
元々はこれがきっかけで「自然の中で何もせずに暮らす。」ということを実践するが為、自然農への取り組みを始めたそうだ。
なんだかここの件は、自分のいのち。の話とリンクした。
こどもが生まれたその瞬間、おれの人生は変わった。自分でもおったま
自然農法の四大原則
不耕起
わざわざ人間が耕さなくとも、自然界の力に任せておけば、植物の根や微生物や地中の動物の働きで十分耕され、むしろその方が効果的である。
無肥料
本来の自然の土壌は、そこで動植物の生活循環が活発になればなるほど、肥沃化していく。
無農薬
自然は本来常に完全なバランスをとっていて、人間が農薬を使わねばならないほどの病気とか害虫は発生しない。
無除草
草は生えるべくして生えている。雑草も発生する理由があるということは、自然の中では何かの役に立っているのだ。
そう。自然は完璧なるバランスで循環している。ミミズだって、オケラだって、アメンボだって。雑草だって、大豆だって、わらだって、稲だって。みんなみんな生きているんだ友達なんだ。
この奇跡としか言いようのない循環する友達システムを前に、愚かな人間だけが輪を外れ、外側からシステムをコントロールできた気になっているだけ。誰かさんが「アンダーコントロール!」とほざいてるのと同じく。
人間がやっていることといえば、コントロールどころか、単に農薬を用いて田畑の虫を殺し、雑草を排除し、土を汚し。薬漬けの土壌で、ジャンキーな野菜を作っているだけ。自然の持つパーフェクトな循環システムを破壊した時から、近代農業の過ちは始まったのだ。
しかし、そもそも、なぜここまで農薬が普及してしまったのだろう…?昔は農薬なんてこの世になかったのに。いつからか人は農薬に頼るようになり、農薬なしでは食べ物を作ることができなくなった。
この件については以下のように書いてあった。
どうして、薬づけのような果物が出てきたかというと、一番最初の原因は、消費者の側にあるわけです。消費者は、形の整った、少しでもきれいな、少しでもおいしい、少しでも甘味の多いものを要求する。それが、そのまま百姓に、いろんな薬を使わす原因になっているんです。
そうか。ここは考えが及ばなかった。。確かにそうだ。これが全ての原因ではないかもしれないけど。何も農家が好き好んで農薬を使いだしたわけではない。われら消費者のニーズこそが農薬の使用を助長してきた面も多分にあるのだ。
農薬の問題然り、環境の問題然り。この地球上の問題という問題達は突き詰めていくと、もれなくわれわれの消費行動に起因する。
科学者というのは、いかに自然を研究してみても、自然というものは、きわめようがない。どこまで研究していっても、自然というものは、いかに完全無欠なものであるかということを知るにしかすぎない。研究すればするほど、自然というものは神秘な世界である、ということがわかってくる。(中略)
人間は、神さまの愛っていうか、自然の偉大さを知るがために苦闘しているにすぎないんだと思います。ですから、百姓が仕事をするという場合、自然に仕えてさえおればいいんです。
そう。人は自然のすんばらしきシステムを見守りながら、そっと手助けをするだけでよいのだよね。それが正に福岡氏の提唱する「何もしないということを真剣にする」という哲学。
この哲学こそが、これからの時代のセオリーとなっていかにゃならんと思う。その為にもまずはわれわれ消費者の方が自然とは何か?ほんとうの食べ物というのは何か??これらを学ぶ所から始めていくべきだわな。いやぁ、本当に。
この「わら一本の革命」を読んで自然農を始める人間が多いというのも十分わかる。事実、わたしも土に触れて、草に触れて、虫と戯れたくなってきた。農業なんてものには全く興味がなかったけども。俄然興味が湧いてきたよ。
種をまきまきしたい。
