バレンタインが近付いてきている。
今日も元気にエエ話を持ってして好感度UPを計りたい。
今日のはかなり、グッときた…。 以下、『FPN』ヨリ
『人生はそう、一杯のコーヒー。』
有名大学を卒業して輝かしいキャリアを今まさに築いている若者たちが、久し振りに母校の教授を訪ねたときのお話です。
会話はすぐに仕事や日常のグチの言い合いに発展する中、教授は教え子にコーヒーを振舞うためにキッチンへ向かいました。
数分後に教授は、大きなコーヒーポットと色とりどりのコーヒーカップを携えて戻ってくると、それぞれに好きなカップにコーヒーを注ぐように言いました。
陶器、ガラス、クリスタル…、もちろんプラスチックの白いコップまで。教え子は各々が選んだカップにコーヒーを注ぎ終えてカップを手にしたとき、教授は優しく話し始めました。
「ここに白いプラスチックのコップが残りましたね。みなさんが選んだカップは確かに美しいし、高価なものばかりだ。もちろん、せっかくなのだから良い器でコーヒーを飲みたいと考えるのは普通です。しかし、そういったものが人生においては、問題となりストレスになるものなのです。」
教授は続けます。
「カップそのものがコーヒーの味を変えないことは、みなさんわかっていらっしゃる。みなさんが選んだカップはただ高価なだけです。時としてそういうカップは、私たちが飲むものを隠すために使われることもありますけれども。」
「今、私たちはコーヒーが飲みたかった。カップが欲しかったわけではありません。しかしあなたがたは綺麗なカップを意図して選び、そして他の人が選んだカップにそれぞれ目を配っています。」
「人生はそう、一杯のコーヒーのようなものです。そして仕事、お金、名誉や地位は、みなカップです。そのカップがなんであろうと、人生が勝手に決まったり、あるいは人生を変えてくれるなんてことはありません。私たちにはときどき、カップだけしか目に入らなくなってしまうときがあります。そんなとき私たちは、せっかく与えられた自分だけの”コーヒー”を楽しめなくなってしまうものです。」
そして教授は最後に言いました。
「さあ、コーヒーを楽しみましょう。」
…すんげーグッとくる。エエ話ね…。
誰しも知らぬ間に、過剰にカップをより好みしてしまっているのではないだろうか?「カップ選び」という行為それ自体が目的になってしまったりして。それって本末転倒甚だしく、全く持って滑稽なお話で。でもきっと、誰しも身に覚えがあるハズ。
・・俺は・・身に覚えありまくり。
・・・むしろ身に覚えがあり過ぎて、さっきから悪寒がしてきている。

さーて、
青山のアンティークにおしゃれなマグカップ探しにいこうかな♪
お久しブリブリです。てか、マジご無沙汰です。筆不精なもので。・・・言い訳デス。すいやせん。
いや~今、月曜までの課題と向き合ってる最中、ふとダブルクリックしてみたら・・・目からウロコ。2回から目薬。Goに真・・・、ブタに真珠。
さすがデス。エエ話です。
・・・てか、俺も悪寒、真っ最中デス。爆
いや~コレからキッチンに行って、コーシーカップ、全部叩き割ってやります。
あ、2階デスネ。てへ。
>S-T
オレも青山におしゃれな「ドトール」探し行きたいと思います♪
>Hustlin da West Horse. Go! Go!! Go!!!
元気ですか!?
太ってますか??!!
コーシーカップ叩き割りまくって、がんばってFatをBurnしてください。
お久しぶりす。
自分は無駄にアクティブな部分が逆に好きでもあります。
コーヒーの話の本質がわかっていれば無駄な事を楽しむこともアリかなと。
というかそれは決して無駄ではなくよく言えば自分の個性なのではないでしょうか。
最近やっとコーヒーの味の違いがわかってきました。
>みやあき。
「最近やっとコーヒーの味の違いがわかってきました。」って、この話の流れだとなんか深くていいね。
人生、”フレンチロースト”の様な深くて渋みのある味わいで行きたいもんです。
まだまだオレの場合”MAXコーヒー”みたく甘ったるいだけの人生ですが・・